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2018年9月25日火曜日

共生のまち大津・演劇プロジェクト第2回公演のご案内


大津から新しい演劇文化を発信


障がい者が自ら舞台に立ち表現する劇団「まちプロ一座」と市民劇団「グループ橋」が対等の立場で協力し、演劇公演を行うことで、障害のあるなしを問わず、表現する行為に違いはないことを示し、多様な演劇文化を楽しむ催しです。

★演目 グループ「橋」 『走らずにいられない』

 芝居づくりのドタバタと笑いの中に、命の重さを問うグループ「橋」最新作

まちプロ一座 『考える葦にチョコレートを!』

 笑いと涙の人権エンターテインメント!「劇団 まちプロ一座」完全新作

公演日時:平成30年11月10日(土)・11日(日)

10日
11日
昼の部
13:30 まちプロ一座
15:00 グループ「橋」
13:30 まちプロ一座
15:00 グループ「橋」
夜の部
18:30 グループ「橋」
夜の部はグループ「橋」のみ


会場:スカイプラザ浜大津7階 スタジオ1
料金: 入場料1500円
主催: 共生のまち大津・演劇プロジェクト実行委員会
共催: 大津市市民活動センター



<作品紹介>

「走らずにいられない」(グループ「橋」)



マラソンランナー円谷幸吉選手は、1964年東京オリンピックのマラソンで第三位に入り、陸上競技で日本人唯一のメダリストになった。一躍次のオリンピックの期待の星となるが、メキシコオリンピックを十カ月後に控えた1968年1月8日、父母兄弟への遺書を残し自ら命を絶った。
「父上様母上様 三日とろろ美味しゅうございました。干し柿 もちも美味しゅうございました……」

五十数年後、二度目の東京オリンピックに日本中が沸くなか、円谷選手のかつてのコーチと練習パートナーたちは、もう一度円谷選手のことを知ってもらうために、演劇を上演することを思いたつ。チラシをつくり、稽古が始まる。
「汗と涙の友情物語」「隠された秘話」「まことの真相」はいかにと意気込むがすぐに行き詰まってしまう。台本の書き直し、管理人や掃除のおばさんも舞台に上がることに。彼らの思惑どおり舞台は上演できるのか……
 
芝居づくりのドタバタと笑いのなかに、命の重さを問うグループ「橋」の最新作

「考える葦にチョコレートを!」(まちプロ一座)

「ご希望のお部屋が見つかり次第ご連絡いたします。」
ケイは何度も、携帯電話から聞こえるその無機質な明るい声を聞いてきた。
25歳、実家暮らし、障害者。
…………………………………………………………
「一人暮らしをしたいんですけど。」
電話越しに聞こえたその声は、明らかに障害者からだった。
障害者に一人暮らしなんて出来るわけがない。
電話を切る。
…………………………………………………………
一人暮らしがしたいケイと賃貸会社で働く不動。
彼らの人生はフォレストガンプの言葉で変わりだす。
「ママは言っていた、人生はチョコレートの箱みたいって」




チラシ・ポスター完成

共生のまち大津・演劇プロジェクト第2回公演の

チラシとポスターが完成しました。 

11月10日(土)、11日(日)の公演に向けて、各催しでの折込み宣伝や各施設での置きチラシでの宣伝を始めました。
 今年はポスターも製作しました。

グループ「橋」

まちプロ一座

2018年9月3日月曜日

「雲のうえのべゑすぼおる」を観劇して


 

  昨年(2017年10月)、「雲のうえのべゑすぼおる」の公演で広瀬習一の役は、働きながら演劇活動を続けている黒田修一が演じました。彼が勤める職場のグループ「憲法を活かす京都郵政労働者の会」の会報に、ていねいな観劇の感想が掲載されていましたので紹介させて頂きます。(一部省略しています)




   「雲のうえのべゑすぼおる」を観劇して

                               中野 万里

 さる10月29日スカイプラザ浜大津にて生かす会メンバーの黒田修一さん出演の舞台を観てきました。
 原作上田龍氏の「戦火に消えた幻のエース」の内容については会報NO.69(2017.9.14発行)に詳しく載っていますが、戦争のさなかに職業野球(プロ野球)でデビューを果たすも僅か2年後に戦場で命を落とすこととなった広瀬習一の物語です。
 黒田さんはその広瀬投手の高校時代からなくなる22才までを演じられました。
 物語は少年時代のご近所さん、追分絵師の八軒先生を中心に進んでいきます。ベースボールに打ち込み、八軒先生の家の窓ガラスやらを壊す習一少年に最初はお怒りだった先生も類希なる運動能力を発揮し地元の大津商業へ入学、甲子園に出場する頃になると、先生は大枚を叩きラジオを購入してまで習一青年をその家族たちと応援します。
 卒業後、一旦は企業に就職するも入団テストを経て巨人入り、1年目の成績は8勝4敗、翌年は21勝6敗と開幕投手も務める活躍ぶりで巨人軍、期待の投手になります。
 しかし、入隊となりフィリピンのレイテ島へ。
 そして、物語は終盤、戦地での場面へ展開します。本格的に黒田さんの登場です。
 仲間の部隊へ連絡を取るため一人でゲリラ地域へ突入する場面です。曹長との話の中で、習一青年は戦争への思い、野球への思い、友への思いをグローブを胸に守りながら語ります。戦争が終わり、日本へ戻ったら再び野球をすることを夢見る習一青年に曹長は辛く当たります。黒田さんの若々しく透き通った声が習一青年の面影と重なり舞台にどんどん引き込まれていきます。
 そこへ、中隊長が慰問袋を持って現れます。任務を遂行し、戻ってきてから開けるという習一青年に穏やかに家族の気持ちを伝えます。この中隊長、曹長とは違いかなりできる上司であります。そして任務について習一青年に「「危ないと感じたらそれ以上は前へ進むな」と伝えます。
 しかし、習一青年は必ず舞台に合流し連絡をつけて戻ると忠誠を誓い、出発します。
 出発した後中隊長は曹長に「この任務は曹長の君が行くと言ってくれると思っていた」と呟くのです。中隊長には若者の命を無駄にはできないとの思いがあったのでしょう。
 遠くで銃声が聞こえます。そして、習一青年は帰らぬ人となってしまうのです。
 ラストは八軒先生と習一青年の母、チームメイトの母らと思い出の球場跡地で亡き子供たちを思います。誰一人としてい遺骨は戻ってきませんでしたが、明るく元気にベースボールをしていた頃の思い出とその思い出の品とともに影おくりをして見送ります。
 最後はもう、涙しかありません…



(「憲法を活かす京都郵政労働者の会」会報2017年12月5日 №71より)