9年前に初めて上演
グループ「橋」を結成し、初めて上演した作品が「無言館のさかみち」です。2010年12月の「浜大津さざなみ演劇祭」での上演でした。上演に使用した「浜大津スカイプラザ」のスタジオは、音楽会用で演劇には不向きと言われていましたが、工夫次第で演劇の舞台としても使えるとなり、それ以来今日まで私たちの発表の舞台として使うことになりました。
窪島誠一郎著『「無言館」への旅 』を原作にし、野見山暁治著『遺された画集』から、実在の画学生のエピソードを選び、それらを参考にしながら構成したシンプルな脚本です。
当時、上演にあたって、原作として使用するのにどのように許可を取ればわからないので、窪島氏に手紙を出し、京都の平和ミュージアムに講演に来られたときに直接お会いし、上演許可をいただいたことを思い出します。
今回の改作のポイントは
今回の改作の一番大きなポイントは、まちプロ一座の小石哲也氏に客演をお願いし、そのシーンを創作して付け加えることです。グループ「橋」とまちプロ一座のコラボとしては小さな一歩ですが、重要なステップになると思います。もうひとつは、主要な登場人物の窪島氏と野見山氏について、人物像を浮かび上がらせることです。元の脚本では二人は進行役で、あまり深く人物像を描くことができませんでした。
短いセリフで二人の人物像に活かせるような言葉がないか、ふたりの著書を読みながら探しているところです。
「無言館」の坂道(平凡社) |
1997年の無言館の開館は、窪島氏が思っていた以上に大きな反響を呼んだ。反響の大きさに著者は「居心地の悪さ」や戸惑いを感じる。開館後の思いや周辺の動きについての文章および、1997年から2003年に発表された身辺的エッセイ。
合わせて、「こころの時代 信濃デッサン館誕生から無言館開館そして今後に向けて」(NHK ラジオ深夜便「心の時代」2002年1月5日、2月2日放送)のラジオ対談を紙上再録。
四百字のデッサン(河出文庫) |
二部構成の野見山氏のエッセイ。
「ひとびと] 少年期から戦後の混沌期に出会った人々。戦争画の横で直立不動の藤田嗣治。パリの椎名其二。義弟・田中小実昌。「自由美術」の画家たちの情熱。「荒地」の詩人たちなど。
「うわの空」 西日本新聞夕刊連載のエッセイ(1976/9/30~11/15)
日本エッセイスト・クラブ賞受賞
一本の線 (朝日新聞社) |
野見山氏の自伝的エッセイ。
九州の炭鉱の町から絵描きを目指して上京する少年時代か ら、上野の美術学校の個性的な同級生やアトリエ村での生活、 アメリカへの宣戦布告で美術学校も戦時色に染まり、自身も入 営の日を迎える。
ソ連軍と対峙する極寒の地で湿性胸膜炎と診断され、戦地の 病院に入院、同室の患者は入れ替わり死んでいく。
終戦放送を病院で聞き退院、自宅に戻る。
東京で新しい絵の動きが出ていると知り、東京へ向かう汽車 に乗る。
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