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2017年12月4日月曜日

本「戦火に生きた演劇人たち」

「戦火に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇
    堀川 惠子 (講談社)


 演出家八田元夫の名は聞いたことがある程度で、この本でその経歴を初めて知った。
 八田元夫(1903~1976)は戦前、戦中、戦後を新劇の世界に生きた演出家である。彼の残した膨大な資料が早稲田大学の演劇資料館に保管されていた。この資料をもとに、大正デモクラシーに花開いた新劇が、やがて昭和に入って政治の圧倒的な圧力(検閲、上演中止、解散命令、一斉逮捕)にさらされ、これに抵抗し、苦悩しながら舞台に立ち続けた演劇人の姿を、その苦悩に寄り添いながら描かれたすぐれたノンフィクション。



 移動劇団「桜隊」は広島で原子爆弾で全滅した。宿舎があった堀川町は、爆心から至近距離の約700メートル。『広島原爆戦災誌』によると町内の建物は100%が爆風で倒壊し、住民の86%が即死したとある。
 八田元夫は戦争末期にその「桜隊」の演出家を努めた。東京から広島に同行したが運命のちょっとしたいたずらで原爆の惨禍をまぬがれ、命を繋いだ。八田は仲間たちの最後を見届け、彼らの骨を拾って歩いた。丸山定夫との別れは以下のようだった。

八月十六日。
 八田はまた捜索に出かけようとした。とたんに丸山が声をあげた。
「昨日、一日留守だったんだ。今日はいておくれよ」
 必死にすがってくる様子にグッときたが、仲間も捜さなければならない。丸山の介護は槇村に頼んで寺を出た。それが丸山最後の姿になろうなどとは考えもしなかった。

 丸山定夫は戦時下の移動劇団苦楽座(後に「桜隊」)で、国策芝居の上演の間にも三好十郎の「獅子」の芝居をしのび込ませ、ぎりぎりのヒューマニズムと人間のリアリズムを描きだそうとした。



 
「桜隊」で被爆死した団員八名の名前は以下のとおり。
 丸山定夫、森下彰子、園井惠子、高山象三、仲みどり、羽原京子、島木つや子、笠絅子(けいこ)、小室喜代




 映画「無法松の一生」(昭和18年)は主演坂東妻三郎、未亡人役園井惠子(後に「桜隊」に参加し広島で被爆し死亡する)で大ヒットした。この映画で未亡人の息子を演じた川村禾門(かもん)と結婚相手の田村彰子の運命も痛切である。

 著者は最後にこう記している。
「彼らが生きた時代に向きあう時、私たちは改めて反芻することになるだろう。あの時と同じ空気が今、この国に漂ってはいやしないか。頭上を覆い始めたどす黒く思い雲から、再びどしゃぶりの雨が降り出しやしないか。そしてその時、果たして私たちは、足を踏ん張って立ち続けていくことができるだろうかと。」
 著者の問いかけの言葉は重い。